『鴻風楽舎』〜「尺八広場がいや」から

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zoom RSS 錦風流尺八奏法覚え書きの発刊(2)

<<   作成日時 : 2017/03/02 17:38   >>

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◆はじめに
 尺八は宗教音楽として発展してきました。
 本曲とは「尺八のみの、または尺八のための曲」という意味です。
 1677年頃、普化宗(ふけしゅう)が成立。16派の虚無僧寺があったと言われます。
 幕府公認の普化宗では武士のみが虚無僧になることを許されて、寺では尺八と武道の稽古に励み、托鉢(たくはつ)による修業をしていたそうです。
 ちなみに県内では福島市、・川俣町・二本松市・相馬市他に虚無僧寺がありました。
 その一派に根笹派があり、錦風流はその流れにつながっています。
 1871年(明治4年)に普化宗は廃宗になり、虚無僧や托鉢は禁止されましたが、明治16年に復活。
 尺八音楽は芸術音楽として再出発しました。

 ◆流名について
 錦風流は尺八の流派名で、根笹派錦風流、根笹派、大音笹流とも称されます。
 津軽弘前藩代々の藩主が愛好したので、津輕御家流ともいわれます。
 その昔、普化宗の一派であった根笹派の虚無僧寺に伝わる曲であったこと、
1815年(文化12年)弘前藩第九代藩主寧親(やすちか 1765〜1833)が、藩士吉崎好道(1798〜1835)を一月寺(松戸市)に派遣して、
根笹派円宝寺(沼田市)出身の栗原錦風から尺八を習わせて、1818年(文政元年)帰藩した吉崎好道から弘前藩の藩士達に伝習させました。
 こうした歴史がいくつかの名称を今日に伝えています。

 1883年(明治16年)、乳井月影(げつえい 1822〜1895)が「錦風流尺八本調子之譜」を著して、錦風流の流名を政府に登録しました
 以後、乳井月影を初代宗家としました。
 乳井月影には永野旭影(きょくえい)、折戸如月(にょげつ)、津島孤松(こしょう)の3人の高弟がいました。
 それぞれの門弟によっていくつかの系統が生まれて、各地に広まりました。

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